人間だけに「おばあちゃん」と言うポジションが用意されている。

『人間だけに「おばあちゃん」と言うポジションが用意されている。』

友人のブログタイトルに使われていたこの言葉。
なぜだか凄く惹かれた。

確かに牛におばあちゃんという概念はない。

牛にとっての血縁関係

当たり前だけど牛にも「おばあちゃん」はいる。
我が家の牛舎で言えば、曾孫まで4世代揃ってる牛達もいる。

てるとよとてるさちは親子。

でも人間みたいに血縁関係を意識してるかといえば、そんなことはない。
孫という認識すら持っていない気がしている。

見ているのは目の前で産んだ子牛だけ。
我が子であっても大きくなって距離ができると認識をしなくなる。

ドライといえばドライ。
関わる必要がないというか、孫に関わるなんて非効率ってことなんだと僕は思う。
そこらへんが人と違うところかな。

カマキリは生殖行動を終えるとオスは食べられてしまう。
カブトムシは卵を産むと冬を越さずに死ぬ。
種を残すと生命が終わる生物は驚くほど多い。

おばあちゃんというポジションがある動物って、たぶん人間だけだ。

牛のおばあちゃん

強い個体が生き残り、適応できない個体は淘汰される。
自然の中ではそれでいいのかもしれない。
種として生き残るためには「孫よりも群れ」。
そもそも孫の面倒を見るくらいなら自分が子供を産んだ方が正解だとも思う。

でも、牛舎にいる牛たちは野生の牛ではない。
適応できない個体なんてあってはいけないわけです。
サーポートする手があることで助けられる命もたくさんある。

特に近年、子育てを上手にできない牛が増えてきた。
改良によって本能と呼ばれる部分が薄れてきている気がする。

胎盤は食べるのに子牛に乳を飲まさない親とか。。。

もはや野生でない以上、牛に丸投げにするのは無責任な気もしている。
本来の姿とかノスタルジックに牛に求めるのも悪いとは言わない。
けれど、牛だって変化してきてる。

昔からここ但馬では家の中にマヤと呼ばれる牛の部屋があり、牛は家族同様に飼われてきた。
だから和牛は、人の手がかかる飼い方が自然な環境なのかもって僕は思うんです。
そういう意味では牛にとってのおばあちゃんは牛飼いなのかもしれない。

『人間だけがおばあちゃんというポジションが用意されている。』

それは人だけでなく牛に対してもありだって思うんですよね。


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田中 一馬
1978年生まれ。兵庫県三田市出身。田中畜産代表。小さい頃から動物が大好きで北海道酪農学園大学へ入学。在学中に畜産の魅力に目覚め、大学院を休学して2年間畜産農家で住み込みの研修に入る。2002年に独立して田中畜産を設立。但馬牛の子牛生産をメインに、牛の蹄を切る削蹄師として全国の牛の蹄をサポートをしている。2008年に精肉部門を立ち上げ、自家産の但馬牛で放牧牛肉の生産と販売に挑戦中。