牛が死んで涙を流すことは弱さ。でも甘さではない

今朝牛舎に行くと3ヶ月齢の子牛が死んでいた。
解剖したら腎不全だった。(尿は出ていたし膀胱も普通。石もない。)

なんで腎不全になったのかはよくわからない。
先天的に何かあったのか、後発的なものなのか。

牛を飼っているとこういった事故が絶対ある。
流産や死産、奇形、下痢、肺炎、心不全、親牛に踏まれるなどなど。
どれだけ気をつけて飼っていても事故を経験したことのない農家なんていない。

生き物だから死ぬことは当たり前。
しかし屠畜や老衰と違い、事故というのは本当にあかん。
牛飼いが怖くなる。
牛舎に入るたび体が震える。

経済的な損失、自信の喪失、申し訳ないという思い。
そんな中で解剖をして「心臓に穴があいていました。先天的なものです。」そう言われると救われる自分がもいる。
【自分に過失がない。】
そこにほっとしてしまう自分に、そうであって欲しいと願う自分が見える。
この瞬間。嫌気と吐き気がする。

今回は感染性のものじゃないし、個体としての問題で、単発的。
後に続くものじゃない。
だから気持ちの切り替えは早かった。
いつまでも引きずっていても何も変わらない。
過失があれば改善すべきだし、感染性ものなら全力で拡大を防ぐ必要がある。
そういった意味では今回の事故は切り替えやすいのかもしれない。

それにしてもいつもならもっと引きずる。
今回は切り替えがやけに早かった。
それは僕がタフになったからなのか、牛飼いしていくうちに鈍くなったのか、子牛価格が高くなってぬるくなったのか。。。
6~7年前までは牛が死んでしまうたびに僕は悔しくて申し訳なくて泣いていたのに。

この2年で家の牛はかなり強くなってきた。
大きな病気をする子は1頭もいない。
全体に子牛の調子が良くこぼれがいない。
さらに牛の相場もいい。

その一方で自分がぬるくなってしまった気がして仕方ない。
吹けば飛ぶような現状に安心しちゃってひよっているんじゃないか。

そんな甘くないぞ。
お前油断できるレベルか。と心が叫ぶ。

死んだ牛に心が動かされることは弱さかも知れない。でも、甘さではない。
涙を流すことが甘さではない。
受け止めきれない、背負いきれない、目をそらそうとする部分が甘さ。

たとえ奇形であっても過失はあるよ。
自分に過失がないと思う部分こそが甘さ。

そう思った今日です。


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田中 一馬
1978年生まれ。兵庫県三田市出身。田中畜産代表。小さい頃から動物が大好きで北海道酪農学園大学へ入学。在学中に畜産の魅力に目覚め、大学院を休学して2年間畜産農家で住み込みの研修に入る。2002年に独立して田中畜産を設立。但馬牛の子牛生産をメインに、牛の蹄を切る削蹄師として全国の牛の蹄をサポートをしている。2008年に精肉部門を立ち上げ、自家産の但馬牛で放牧牛肉の生産と販売に挑戦中。