放牧敬産牛肉「ひさふく」

「ひさふく」と言う牛がいた。
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母の名前は「ひさてる2」、父の名前は「福芳土井」
平成18年に我が家で生まれ育った但馬牛の母牛だ。
放牧敬産牛肉の生産販売を始めて8年目になるが、実は自家保留した牛をお肉にするのは初めて。
自家保留牛とはその名のとおり「自分の家で生まれた子牛を販売せず、母牛にするため保留した牛」のこと。

田中畜産は平成14年に5頭の妊娠牛を導入するところからスタートした。
なぜ妊娠牛からスタートしたかというと理由は簡単。
お金の回転が速いということ、妊娠牛は安かったという2点だ。

繁殖農家は子牛を市場で販売することで収入を得ている。
妊娠牛の場合は導入して6ヶ月ほどで子牛を産んでくれる。
そして、生まれた子牛を8ヶ月ほど飼育すると販売することができる。
つまり妊娠牛導入だと、お金になるまでに14か月(約1年)かかる計算になる。
なかなか気の長い話だ。

これが妊娠の導入牛ではなく、牛市で子牛を導入してからのスタートだと、子牛を育成し種付けをするまでに6ヶ月、種が付き分娩までが9ヶ月、その子牛が生まれて販売できるまでに8ヶ月。
実に2年弱の歳月がかかるのだ。

更に「ひさふく」のような自家保留の場合、母牛(ひさてる2)の妊娠期間が9ヶ月、生まれた子牛(ひさふく)を種付けするまでに14ヶ月、保留した牛(ひさふく)に種がつき分娩するまでに9ヶ月、生まれた子牛を販売するまでに8ヶ月。
なんと、収入を得るまでに3年半近い(40か月以上の)日数を要する。

僕が就農したばかりのころは本当にお金が無く、増頭の大部分を他の牧場からの妊娠牛導入で補ってきた。
その一方で1年に1頭、2頭と少ないながらも自家保留をして牛を残してきた。
ひさふくはそんな初期の自家保留メンバーの1頭だ。
自家保留牛には色々な思い出がある。
これぞと思って残した牛、安くて売れなかった牛、安くても売っておくべきだった牛、期待通りの牛、大化けした牛、親美人な牛、等々。

もちろん妊娠牛で導入した牛達も思い入れの大きい牛ばかり。
特に牧場開設メンバーの1頭「みつこ」を肉にしたときは言葉にしがたいものがあった。

「ひさふく」は7歳という若さでお肉となった。
肉牛の場合は長く飼育しても3年なので、7年は長く見える。
しかし、繁殖牛としてはまさに脂の乗った時期。
まだまだ高齢の牛はいるし、現役で頑張って欲しかったのだが、種付けが何年もうまくいかず廃用することとなった。
種がつかないことには繁殖牛として活躍することはできない。

ひさふくのことを思い出すときに母親の「ひさてる2」を外すことはできない。
ひさてる2はとても大きくて美人の牛だった。
就農当初、資金的な面から僕はあまりいい牛が買えなかった。
そんな中、研修先の親方から売ってもらった牛がひさてる2だった。

当時の僕にとって彼女は特別な牛で、メスが生まれたら自家保留しようと当時一番の流行りだった福芳土井をつけた。
そして待望のメスが生まれ、ひさてる2と福芳土井の名前を取ってひさふくと名前をつけた。

ひさふくの産子は高値で売買され、買われた子牛も全て神戸ビーフになるなどと産肉成績も非常に高い牛でとても期待をしていた牛でした。

しかし、ひさてる2の系統にはなぜか繁殖成績が悪い傾向がありました。
ひさてる2、ひさふく、そしてひさふくの子ひさてる(ひさふく×照一土井)までもなかなか種がつかない。

我が家ではトップクラスの能力を持つ血統でしたが、親子代々受胎率が悪く、7歳という若さでお肉になることになりました。
とても温和な牛で、大人しすぎて牛舎での存在感がないくらい。
放牧場では一番人に馴れており、いつも自分から寄って来ては触らせてくれました。

今は後継牛としてひさふくの娘牛「ひさてる」が残っています。
それでもやっぱりもう少し一緒にいたかった牛です。

そのひさてるの放牧は、例年より1ヶ月遅めの5月23日からのスタートとなりました。
(ひさふく(左)、元気(右)とを同時に放牧しました。)
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6月19日には今年新設した「万場高原スキー場」での放牧もスタート
ひさふく、元気も万場高原放牧場の草刈に参戦するため大照放牧場から移動してきました。
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後ろには神鍋の景色が広がります。
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毎年、地域の方がスキーシーズンの前になると人力でこのススキを刈ってきたそうです。
そのため、春のすすきはとても柔らかく、牛達にとっては極上品の草となりました。
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牛達のおかげで万場での放牧も無事完了。
来年度からはいよいよ本格的に面積を広げていければと思っています。
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万場ですすきを食べ尽くすと、ひさふくは再び大照放牧場に戻ってきて最後まで放牧場で青草を食べました。

11月26日 放牧場からひさふくを下ろすとき、目の前には雲海が広がっていました。
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1時間ほどかけて屠畜場の繋ぎ場へ到着したひさふく。
こう見ると結構痩せました。
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繋ぎ場から数mほど先でノッキングされ、頭を落とします。
一旦吊り上げてレーンで移動し、専用の台に下ろすと、足をはずし皮をむいていきます。
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半分まで皮をむくと再び吊るして内臓を取り出します。
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取り出した内蔵はそのまま壁の向こうのホルモンの洗い場へと滑り落ちてきます。大きいです!!
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奥にある一番大きいのが第1胃。200リットルもある発酵タンクで、ホルモン名はミノ。
手前にあるのは小腸です。
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ひさふくは青草を食べているため第1胃の中身は緑色。向こうに見えるのが一般的な肥育牛の胃の中身。ワラと配合飼料がメインなので茶色をしています。
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右がひさふくの枝肉です。小さいです。。。
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となりの牛と比べると背中やモモなどあきらかに淋しいですが、これが放牧敬産牛肉です。
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繋ぎ場から枝肉となるまでの時間は30分ほど、あっという間に牛は食肉となります。
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僕は牛を食肉にする際、牛に対しての感情はあまり持っていません。
ノッキングする瞬間までは「牛として」見ているのでごめんよという気持ちは正直あります。
しかし、牛が倒れた瞬間に気持ちは切り替わります。
そして、無駄のない流れるような手捌きで枝肉となっていく牛を見る度に、ただただ凄いなと思うのです。
そこには牛を食肉にするための技術が詰まっており、その技術や空間に肉を食べるという歴史を感じてしまいます。
感情と言うのはとても大切な事なのだけど、変わりやすい不安定なもの。
この屠畜の現場には個人の「かわいそう」だとか「ありがとうだよね」とか感情の入る隙間もない空気がある。
食肉を生産するという現実だけがあります。

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枝肉となったひさふく。
今までは屠畜翌日に枝肉を脱骨し、ブロック肉の状態で真空パックしていました。
しかし今年からは1週間枝肉のまま冷蔵庫に吊るして熟成することにしました。
うちの牛は放牧するためお肉に水分が多く、屠畜後すぐに真空パックするよりも、枝肉として吊るして熟成させた方が肉の状態が良くなると考えたためです。
最近はブロック肉の状態で長期熟成するドライエージングが流行りですが、和牛は昔から日本で行われている枝肉熟成の方が合っているんじゃないかと思ったりしています。
今回は1週間でしたが、尊敬しているお肉屋さんから「あのお肉は最低2週間は枝で吊るしたい。もっと置ければがらっと変わると思う。」と教えていただきました。
これは来年度の課題にしたいと思っています。

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ひさふくの枝肉は205kgととても小さいものでした。
ひさふくくらいの体格だと、目一杯肥らせて枝肉300kg、明らかに骨皮が目立つほど痩せている場合は枝で180kgくらいになります。
205kgは明らかにスリムな体形なわけです。
そのため、正直今回のお肉はあまり期待できないかもと思っていました。
それがカットして見てびっくり!
放牧で経産牛でしかも205kgとは思えないしっかりとしたロース芯でした。
今までの放牧敬産牛肉からは想像もできない見た目の良さに、「ひさふくってすごい!但馬牛すごい!」って思ってしまいました。

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ひさふくのホルモン全てとウデ、バラ、ネック、スネなどのお肉は神戸のレストラン「フランス地方料理MOMOKA」さんへ卸させていただきました。
我が家のお肉は基本的に卸売をしていません。
牛肉販売当初からお世話になったMOMOKAさんだけは毎年卸させていただいています。
日本で放牧敬産牛肉が食べられる唯一のレストランです!!
リーズナブルで美味しく、僕も毎月食べに行っています!!!
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メニューのひとつ「放牧但馬牛の焼きポトフ」
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「放牧但馬牛と淡路玉葱たっぷりのビール煮 フランドル地方風」
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そして、手元に残った肩ロース、サーロイン、ヘレ、ラム、しんたま、内平、外平を自分達でカットし、商品化しました。
今年新調した真空包装機も大活躍でした。
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外平(そともも)をトリミングする精肉担当の妻。
外平は大きく3つに分かれ、形の良いまくら部は【外平まくらローストビーフ用】、中心のそともも部は【外平塩焼き用スライス】に商品化。
硬いハバキと呼ばれる部分やそともも部の薄い場所は肩ロースのネック側と合わせて【赤身切り落とし】として商品にしました。
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昨年までは肉屋で働いていたY君をカットの講師としてお願いしていたのですが、今年からは自分たちだけでカットができるようになりました。
食肉担当の妻は、牛飼いをしばらく休み、群馬の食肉学校に研修に行きってきました。
短い期間での研修で、技術を得るところまではとても足りませんでしたが、肉屋として外に出て学び交流する中でお肉に向き合う姿勢が大きく変わった気がしています。
頑張れ!!
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毎年毎年、違う牛と肉と向き合い、こうしてはどうか手探りが続きます。
わからないことばかり。
でも、そうすることで小さいながらもお肉を販売するということに自信が持てるものを提供できるようになってきました。
規模としては小さすぎる肉屋ですが、僕らだからこそ届けられるものがあると信じています。

我が家の牛たちが楽しい食卓のお手伝いができればとても嬉しいです。
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田中 一馬
1978年生まれ。兵庫県三田市出身。田中畜産代表。小さい頃から動物が大好きで北海道酪農学園大学へ入学。在学中に畜産の魅力に目覚め、大学院を休学して2年間畜産農家で住み込みの研修に入る。2002年に独立して田中畜産を設立。但馬牛の子牛生産をメインに、牛の蹄を切る削蹄師として全国の牛の蹄をサポートをしている。2008年に精肉部門を立ち上げ、自家産の但馬牛で放牧牛肉の生産と販売に挑戦中。