「命には感謝しなければならない」なんておかしな話だと思う。

こんにちは。
但馬牛繁殖農家のお肉屋さん、田中畜産の田中一馬です。

命ってなんなんでしょう?

い、いきなり重いな。。。

僕は牛を育てて殺してお肉にする仕事をしています。

これに対してよく2つの意見をいただきます。
①かわいそう
②ありがとう

うん、これ、どっちも分かります。

屠畜の瞬間はかわいそうという気待ちが出るし、肉になったらありがとうって気持ちもわく。
さらに食べる時には美味しい不味いっていう感情も出るし、食べた人の喜んだ顔を見ると嬉しい気持ちにもなる。

だからこそ、『命には感謝しなければならない』なんておかしな話だと思う。

感情は自由だ。

屠畜と聞くと残酷だと感じて肉を食べない人がいる。
反対に必要以上に感謝感謝と「それ、罪悪感を埋めようとしてんじゃない?」って思うこともある。
まあ、どっちでもいいんだけどね。
色んな考えがあって当たり前。

ただ、僕は屠畜に罪悪感なんて持っていない。

生命は他の生命を取り込んでこそ維持ができるし、それをエネルギーとして次の命を紡いできた。
この生命の流れに善悪を盛り込むのは、僕は傲慢だと思う。

生まれる命、無くなる命をたくさん見てきて、
命を大切に感じる事は、誕生や死に際に立ち会うことじゃないって思うんですよね。

世界には何兆という命がうごめいていて、それら全てが必ず死にます。
そしてまた入れ替わるように、新しい命が誕生する。

俯瞰して見てると『命って大きな流れの中にいる個々のエネルギー』なんだなって思うんです。

そんな巨大な流れの中で、命一つ一つなんて感じられません。
せいぜい感じられる命っていうのは、自分自身の存在と、その周りとの関係性でしかないと思うんだよね。

だから命は教えられない。
関わりから感じるものだから。

先日、恒例のカブトムシ堀りを子供と一緒にやりました。
「うわー!でかー!!気持ちわるー!!すごー!!変な形!!死んじゃった!ほらメガネみたい!噛まれたー!あんま痛くなかった!!」
様々な形の感情が次々出てくる。
色んなことを感じるって事が、命を学ぶことなんだと思う。

「命を大切に」なんて、教えたって伝わらない。
色んなことを感じて、大切なものができるから命の重さが分かるんだと思うんです。

春といえばカブトムシの幼虫掘りです。今日は10分で12匹。11匹はお父さんが獲りました。これから夏まで別の容器に移して飼育します。命を学ぶって道徳的なものだけじゃないよね。「うわー!でかー!!気持ちわるー!!すごー!!変な形!!…

田中一馬さんの投稿 2017年4月3日

僕が命を初めて強く感じたのは、飼っていたセキセイインコが死んだ時でした。

猫にやられ、片足だけの瀕死の状態から復活し、でも結局死んでしまいました。
子供心にインコが死んだこともショックでしたが、それ以上に僕の胸をえぐったのは、黙々とインコの世話をしてきた父の号泣する姿でした。
インコではなく、その時の父の姿に、子供だった僕は強烈な命を感じた。

誕生と死だけが命ではないんだよね。
関わりこそが命なんだと、今になって思うんです。

大切な牛を大切な人に喜んでもらいたい。
それが僕のお肉に対する向き合い方。

この時間を楽しもう。
それが僕のお父さんとしてできることだと思います。

さあ何匹カブトムシ生まれるかなー?


The following two tabs change content below.
田中 一馬
1978年生まれ。兵庫県三田市出身。田中畜産代表。小さい頃から動物が大好きで北海道酪農学園大学へ入学。在学中に畜産の魅力に目覚め、大学院を休学して2年間畜産農家で住み込みの研修に入る。2002年に独立して田中畜産を設立。但馬牛の子牛生産をメインに、牛の蹄を切る削蹄師として全国の牛の蹄をサポートをしている。2008年に精肉部門を立ち上げ、自家産の但馬牛で放牧牛肉の生産と販売に挑戦中。